生きる力のレシピ-SAVE THE LIVES委員会-

 アラフィフワーママの私いきるの自己紹介と、このブログ「生きる力のレシピ-SAVE THE LIVES委員会-」を始めようと思った理由をお話ししたいと思います。(注意:いきるの身元バレ防止のため、フィクションやフェイクも含みます。また話す上で、令和である現代に合わない意見や考えがあるかもしれませんが、実際に昭和・平成・令和と生きてきた私の時代背景なので、ご理解ください。)
 

  1. はじめに
     まずは、自己紹介から。私いきるは、昭和生まれ、第2次ベビーブーム世代のアラフィフです。両親のもと、幼稚園・小学校・中学校・高校・大学と通いました。就職は、バブルがはじけてしまった後で、第2次ベビーブーム世代ということもあり、何をするにしても倍率が高く、なかなか決まりませんでした。でもやっと、事務職のいわゆるOLになることができました。今思うと、就職するまでは、恵まれていたなと感謝しています。
     就職後、結婚して出産したのですが、この時(平成はじめ頃)の結婚、出産は大変でした。なぜかというと、女性が結婚後仕事を続けること自体も難しく、珍しいことで(寿退社という言葉があるくらい。)出産となれば、ほぼ100%退職することが普通でした。ということで、ワーママの私。1%というか、会社で初めての育休取得者くらいの感じでした。そりゃあもう、肩たたきどころの話じゃないですよ。非常識とか、周囲の迷惑を考えろとか、誰もとった事ないとかさんざん言われました(泣)。それは、上司、男性に限らず、女性の同僚からもでしたね。そんな勇気ないとか、よく夫や両親が許してくれたねとか。でも、時代は変わるものですね。今や男性も育休をとる時代ですらね。
     それでもなぜ、私は仕事を辞めなかったのか。きっと、自分が活きること、自分の人生を生きたかったからだと思います。そして、この決断は、私の「生きる力」人生の始まりでした。

  2. 生きる力
     私にとっての生きる力。それは、「身体・心・脳を動かす力」
     そう、家事(妻)、育児(母)、仕事(社会人)をするには、生きる力が必要でした。
     ワーママは、とにかく動くしかない。時間がない。余裕がない。特に、子どもが幼児の頃までは、目が離せないし、家事も仕事もやるしかない。もう、ないないづくしで、余裕がないから「~しなきゃいけない」って強迫観念みたいに思っていましたね。時間にも追われていて、分単位で動かないと終わらない感じで。でも、自分で決めたことだから必死でした。そんな毎日が全力疾走の中で、はっと気づいたことがありました。不思議なんですけど、仕事のストレスは育児で、育児のストレスは仕事で、解消できていたんです。この時はっきりと、子どもと仕事が「生きる力」になっていると意識しました。
     生きる力は、毎日基本的に、食事と睡眠で補充しているものですが、花や植物、月や太陽、言葉や音楽、色、スポーツなどからも補充することができます。私にとっては、子どもと家族、仕事も生きる力です!
     
  3. レシピ
     生きる力は使ってしまえば無くなってしまいますから、補充が必要です。そこで重要なのは、マイレシピです。
     誰もが毎日、生きる力として補充しているのは、食事と睡眠ですね。現代は家庭も環境もそれぞれですし、子どものころは食事と睡眠も大人の生活リズムに合わせることになったり、好き嫌いがあれば健康に良いとされる3食をバランスよく食べることができなかったり、病気のため食べられない食材があったり、仕事や塾、通勤や通学、炊事洗濯のため早寝早起きが難しい場合もあります。食事と睡眠だけを見ても、いつも規則正しくとはいかないと思いますが、タイミング・量・内容など、自分に合ったマイレシピがあると、効率よく充分な生きる力を補充することができます。
     私の生きる力のマイレシピの1つは、色(カラー)。仕事の時は青色の文具や紺色の洋服にする。タオルやバッグでカラフルな色を取り入れる。食事でもカラフルな野菜を食べる。食器やお弁当箱も好きな色にするなど。自分のペースとできることで、楽しみながら生きる力を補充しています!
  4. SAVE THE LIVES委員会
     ブログタイトルにある「SAVE THE LIVES」の意味は、「命を守る、命を救う」です。私が、このブログを始めようと思った理由がここにあります。
     私はアラフィフという年齢になって少し立ち止まり、今までを振り返りると、恵まれていた学生時代、就職した時、結婚してから、出産してから、子育てをしていて、色々と辛いこともあったり、悩んだり、生きづらさを感じたり、失敗もたくさんあって。どこかで擦り切れてしまったかもしれない、立ち上がれなかったかもしれない、途方にくれてたかもしれない、命を守れなかったかもしれない。人生は平坦ではなく、その一瞬、一瞬を懸命に生きていても、いい時や楽しいことばかりじゃないから、自分の生きる力で自分の命を守り、子どもの命を守り、生きていくこと。自分を活かして生きていくこと。それが、私の50年間の生き方でした。
     これからの私の人生と生き方は、自分の生きる力で自分の命を守り、子どもの命を守り、1人でも多くの命を守り生きていくこと。自分と生きる力を活かして生きていくこと。生きる力のレシピーSAVE THE LIVES委員会ーです。
  5. 生きる力サポーター  ーまとめー
     「生きる力のレシピーSAVE THE LIVES委員会-」は、生きる力サポーターです。私は、生きる力サポーターとして、より多くの人に生きる力を知ってもらい、毎日を生きていく力になりたいと思っています。
     このブログを通して、1人でも多くの人とつながれますように!!